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阿曽山大噴火さんに聞いてきた「はじめての裁判傍聴」(前編)

阿曽山大噴火さんに聞いてきた「はじめての裁判傍聴」(前編)

「エンタの神様」などテレビでもお馴染み裁判ウォッチャーと言えば、阿曽山大噴火さん。1週間のうち5日は裁判所へ赴くという裁判傍聴のオーソリティとも言える方に、はじめて行った裁判傍聴についてや、はじめて裁判傍聴に行く時の心構えなどをインタビュー取材で直撃してきました!

コダケン

この記事のアドバイザー

コダケン

プロレス好きカルトライター


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目次


芸能プロダクションである大川興業に所属の阿曽山大噴火さん。お笑い芸人として活躍している傍らで、裁判ウォッチャーとして週に5日は東京地裁に赴いて裁判を傍聴していらっしゃいます。その豊富な裁判傍聴の体験をもとにして、有名なところでは「エンタの神様」(日本テレビ)などで裁判をフリップネタにして披露しています。

そんな芸能界でも屈指の裁判ウォッチャーである阿曽山大噴火さんに”はじめての「裁判傍聴」”というテーマで、はじめて裁判傍聴する場合の心得や、はじめてご自身で傍聴した裁判についてなど、裁判傍聴に関する『はじめて』について伺ってきました。

裁判所前でお約束の1枚。この日はあいにくの雨模様でした。

阿曽山大噴火さんのはじまり ~上京して芸人になるまで~

――本日は、お忙しい中、インタビュー取材のお時間をありがとうございます。早速ですが、人生のはじめである生い立ちから教えていただけますでしょうか。

阿曽山大噴火さん>
生い立ちですか。それは生まれたときくらいから話したほうが良いですか。長くなるんで小学校時代くらいからでいいですかね。小学校時代は、米沢市にある小学校に通っておりました。その後、父親の仕事の都合で山形市に引っ越しをしました。

当時は特に芸人に対して憧れがあったわけではなく、普通にお笑いを楽しんでいるような小学生でしたね。漫才ブームとかにぶち当たってる世代になりますかね。ビートたけしさん、ひょうきん族、ドリフなどネットが無い時代だったので、お笑いを見ている意識というよりはみんなと一緒にテレビを見て楽しんでいた感じですね。

中学校は山形の中学校でバスケットボールをしてました。小学校の時から少年団みたいなのでバスケをしていたので、そのままって感じですね。今は、バスケどころか運動もしてませんけどね (笑)
高校は天童市の高校に行きました。父親の仕事の事情で引越ばっかりしてたので、高校受験した時と入学した時と1年生、2年生、3年生と全部住所が違うんです。怪しい仕事してたわけではありませんよ。

高校では部活は特にやって無かったですね。クラブとしての授業があったので、そこに参加してたくらいで特に覚えてないですね。友達とだらだらしてましたね。お笑いへのあこがれは全くなくて、小、中、高と人を笑わせるのが好きだったんで、クラスの人気者とかではなかったんですけど、クラスの2~3人を楽しませるって感じでした。

――高校を卒業されてから、すぐに上京されたのでしょうか。

阿曽山大噴火さん>
高校を卒業して、台東区にあった千代田工科専門学校の映画芸術科に進みましたね。映画を見ることが好きだったので、映画関連の仕事に就きたいと思ってたんでしょうね。丁度、その頃にタランティーノが出てきたんですよ。俺としては、すごいいい時期だったなと思って。こんなに映画に関係ない話をダラダラしても面白い新しい人が来たと楽しんでましたね。

専門学校が2年でしたね。友達と映画っていうか、映像撮ったりみたいなことして、PFF(ぴあフィルムフェスティバル)がちょうどフィルムとビデオの応募が半々くらいになってきている時でした。学生の時に、園子温の上映会を追っかけてました。当時、新宿にアルゴって映画館があって、そこで「部屋」50カットしかないつまんない映画なんですけど、そんな映画見ながら「園子温もまともな映画撮るようになった」とか上から目線で、思ってました。こんなに有名になるとは思っていませんでした。

裁判を傍聴した際のメモを見ながらの阿曽山大噴火さん

――その後、大川興業に入社されるはずですが、芸人になろうとしたきっかけや理由があれば教えてください。

阿曽山大噴火さん>
特に芸人になっているつもりは今もあんまりないんですけど、専門学校出て1年くらいテレビ制作会社で働いたんですが、辞めて目標もなくフリーターやってた時代にお笑いライブをちょくちょく見に行ってました。その1つに大川興業のトークライブでもらったチラシに「新人募集」って書いてあったんで、オーディション行けば江頭と喋れるんじゃないかと思ってオーディションを受けたのがきっかけですね。

オーディションは6人くらいいたんですけど、俺しか受からなかったですね。みんな漫談とかギャグとかやってましたけど、特に面接みたいなことしたら受かってましたね。

――その後、大川興業に入社された後は、コンビで活動されてますね。

阿曽山大噴火さん>
大川興業に入ってからコンビを組んでました。97年に入って、2000年の単独ライブで解散したので、コンビ組んでいたのは3年ですかね。これは完全に漫才をしてました。その後もコンビを組んでました。「家なき大工」ってコンビ名でしたね。これも2004年くらいまでやってました。現在の相方については、全くわからないですね。

面白いことがしたいってのは、今もあるんですけどね。漫才とかコントとかしたいってことよりは、面白い事を体験したいって方が強いですね。笑わせたいって欲もあるんですけど、なかなかお笑い芸人ってカテゴリも難しいですね。

すごいラジオは好きだったので、ラジオの仕事はちょっとあがるってのはありますけど、MCをやりたいとかひな壇でトークしたいってのは、あんまり無いです。

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