
初めて夏目漱石を読む方へ。夏目漱石とはー生い立ちやオススメ作品をご紹介
2021.02.24 | 53view
かつては千円札にその肖像が採用され、その名を知らない人はいないのではないかと思われる夏目漱石。小説家として有名な夏目漱石ですが、英文科を卒業し、海外留学経験も豊富なのをご存じでしょうか。今回は初めて夏目漱石を読む方へ、夏目漱石の生い立ちやオススメの書籍をご紹介します。
目次
1.夏目漱石の生い立ちを知ろう
夏目漱石というと千円札の肖像にもなった人物ですので、名前は誰もが知っているかと思いますが、その顔は文学者だけではありません。夏目漱石は生前、具体的にどのようなことをしたのでしょうか。初めて夏目漱石作品を読む前に、生い立ちや経歴について知っておきましょう。
新宿生まれの夏目漱石
夏目漱石は1867年2月9日に生まれました。幼少期は夏目金之助という名前でした。夏目漱石が生まれたのは江戸の牛込馬場下というところで、現在の東京都新宿区にあたります。父親は牛込から高田馬場までの一帯を治める権力者で、裕福な家庭だったそうです。
夏目漱石には兄弟もたくさんおり、4人の兄と1人の姉、また2人の異母姉もいたそうです。多くの子に恵まれ、また夏目漱石を高齢で出産した母はそのことを恥じていました。
不幸にも夏目漱石は望まれて生まれた子どもではなかったようで、祖父の浪費により家計も傾いていたことから、生まれて間もなく養子に出されてしまいます。
その後別の養子先で育った夏目漱石でしたが、養父母の不和、離婚などがあり、9歳の頃に生まれた家へ戻りました。しかしその後も実の父と養父が対立し、正式に夏目家の籍に戻ることができたのは21歳になってからでした。
東京大学卒で留学経験もあるエリート
波乱万丈な幼少期を過ごした夏目漱石ですが、子どもの頃からたいへん賢かったようで、12歳で東京府第一中学正則科(現在の都立日比谷高校)に進学。しかしその後の受験に必要な英語の授業がなかったことなどを理由に、2年程で中退し、漢学私塾二松學舍(現在の二松学舎大学)へ入学します。
が、こちらも文学を志すことを反対した兄の影響で1年で中退。その後神田駿河台の英学塾成立学舎に入学し、英語を学んだ夏目漱石はめきめきと学力を伸ばし、大学予備門予科へと進学しましたが、途中で虫垂炎を患い落第しました。
紆余曲折あった夏目漱石ですが、1890年、当時できたばかりの帝国大学英文科に入学します。帝国大学は後の東京帝国大学、つまり現在の東京大学です。日本一の大学で特待生などにも選ばれた夏目漱石は1893年、今度はきちんと卒業しました。
卒業後は様々な学校で英語教師をしていた夏目漱石ですが、1900年に英語教育法研究のために文部省からイギリスへの留学を言い渡されます。留学先では大学の講義の聴講を途中でやめ、自らが興味のある英文学などの研究を行っていましたが、以前から患っていた神経衰弱が再発し、留学期間の満了を早め、帰国となりました。
夏目漱石は非常に優秀な人物でしたが、中退や途中帰国などの経験も多く、順風満帆とは言い難い人生を送っていたようです。
もともとの職業は教師だった
前述の通り、夏目漱石は帝国大学卒業後は高等師範学校や愛媛県の中学校、熊本にある高等学校などで英語の教師をしていました。イギリス留学から戻った後も再び教鞭をとり、東京の第一高等学校と母校である東京帝国大学の講師となりました。
しかし第一高等学校では叱責により生徒を自殺に追い込んだと噂をされ、東京帝国大学では前任の講師の方が良かったと言われ、様々なストレスにより夏目漱石はまたもや神経衰弱になってしまいます。しばらくした後は明治大学の講師にも赴任し、元の生活に戻るようになりました。
長年教師を務めてきた夏目漱石ですが、1907年に辞職。朝日新聞社へ入社し、いよいよ本格的に作家としての道を歩み始めることとなったのです。