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独特の雰囲気がクセになる!はじめてスタンリー・キューブリックの世界に触れる人へ

独特の雰囲気がクセになる!はじめてスタンリー・キューブリックの世界に触れる人へ

スタンリー・キューブリックという映画監督をご存知でしょうか?あまり映画を観ない人には聞き慣れない名前かもしれませんが、彼の影響を受けた人は数知れず。鑑賞者を虜にする独特の雰囲気やブラックユーモアが特徴で、亡き今も多くの人から支持を得ています。初めて作品を観るのなら、ぜひ独自の世界観に触れてみて下さいね。

たかなし亜妖

この記事のアドバイザー

たかなし亜妖

フリーライター


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目次

1.スタンリー・キューブリックについて

元々は〇〇〇〇〇だった?

映画監督・プロデューサー・脚本家で知られているキューブリックですが、かつては見習いカメラマンとして働いていました。17歳からルック(写真雑誌)で活動し、天才少年と呼ばれていたのだとか!19歳の時点で、誌面では「ベテランカメラマン」と紹介されるほどの腕前だったそうです。彼の映像作品は内容だけでなく、撮影手法や演出にも定評があるため、かつての経験が作中に集約されているのかもしれません。

元々はルックへ写真を売りながら収入を得ていたキューブリック。正式にカメラマンとして在籍するきっかけとなったのは、ルーズベルト大統領の死を知らせる一枚の写真が、ルックへ売れたからです。

一時期はジャズドラマーを目指していたという逸話もあるくらいなので、キューブリックは芸術的な面で頭一つ抜きんでていた存在だったのではないでしょうか?

こんな少年だったのかもしれませんね

映画監督としての活躍

カメラマン時代にウォルター・カルティエというボクサーの写真を撮影しており、それを元にドキュメンタリー映画「拳闘試合の日」を制作します。こちらは自主制作であり、キューブリックは自身の貯金と、身内にお金を借りて作品を作り上げたのだとか。

後にこの映画の業績は黒字となり、ルックを退社。その後も自主制作映画は続き、業績の振るわない日々が続きますが、批評家からは賞賛の声が上がっていました。制作を諦めずに続けた結果、ハリウッドからやっと評価を得られたのです。

彼の注目すべきポイントは「いきなり成功したタイプ」ではないところ。映画製作を始めたのは1951年ですが、ハリウッドから評価・財政的支援を受けられたのは1961年のイギリス移住後でしょう。それまでも評価は高かったのですが、世界的な人気を誇り始めたのは、実はこのあたり。

キューブリック自身もイギリス移住後は仕事場を自宅へ変更。脚本の執筆から編集、その他細やかな作業全てを行っていたそうです。

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あるときは心楽しく、しかしあるときは非常なまでに辛辣に。恐ろしく知的な深みに遊ぶと思えば、卑俗な四文字語を連発。孤高の巨匠キューブリックが脚本家にかいま見せた素顔と、「アイズワイドシャット」製作の舞台裏。

突然の死

キューブリックは1999年「アイズ ワイド シャット」の試写会5日前に心臓発作を起こし、自宅にて息を引き取っています。没年70歳だったため、恐らく老衰だと思われるのですが……一部では“暗殺説”が流れているのです。

遺作となった「アイズ ワイド シャット」の衝撃的かつ過激な“裏事情”を描いたことから暗殺が囁かれ、様々な憶測が飛び交いました。心臓発作の原因は未だ明らかになっていないので「キューブリックは殺された!」と断言する話さえあるようです。

ですが真実は闇の中。ネット上にあるものもあくまで噂ですから、100%真に受けない方がいいのでしょう。彼がただ老衰でこの世を去って行ったことを願うばかりです。

亡くなる時もセンセーショナルでした

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