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森鴎外を初めて読む人におススメの作品と豆知識

森鴎外を初めて読む人におススメの作品と豆知識

夏目漱石と並ぶ明治の大文豪森鴎外。元々医者で陸軍省の医務局長という高級官僚にまでなりましたが、一方で文学者として強い創作意欲を持ち続け、「舞姫」「阿部一族」「高瀬舟」「山椒大夫」などの話題作を次々発表しました。ここでは森鴎外を初めて読む人に向け、鴎外の名作とその生涯を簡単に紹介していきます。

ニャートパイツ

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目次

1.森鴎外ってどんな作家?

森鴎外といえば、皆さんは夏目漱石と並ぶ明治の大作家というイメージかもしれませんが、実はさまざまな顔を持っています。森鴎外は1862年に島根県で生まれ、1922年、61歳でその生涯を終えましたが、陸軍軍医総監にまで昇進し、医師・官僚としてのキャリアを積み重ねていく傍らで、小説家としてはもちろん、翻訳家、評論家としても活躍し、マルチな文化人として明治・大正時代を牽引していったのです。

森鴎外を知らない人に略歴をご紹介

以下に森鴎外の略歴を年代順に簡単に紹介していきたいと思います。

1862年 島根県津和野町で生まれる。本名は森林太郎
1881年 東京大学医学部を最年少の若さ(20歳)で卒業
1881年 陸軍に入り、東京陸軍病院に勤務
1884年 ドイツ留学を拝命、ライプチヒ大学へ入学
1887年 ベルリン大学でロベルト・コッホに師事
1888年 日本に帰国し、陸軍軍医学校教官に就任
1890年 「舞姫」を発表
1893年 陸軍軍医学校校長に就任
1899年 陸軍軍医総監に就任
1915年 「山椒大夫」を発表
1916年 「高瀬舟」を発表
1922年 61歳で死去

森鴎外はこのほかにも、西洋近代詩を叙情深く美しい文語体で綴った翻訳作品「於母影(おもかげ)」(1889年)や「即興詩人」(1892年)を発表したり、文学評論雑誌「しがらみ草紙」や医学雑誌「公衆医事」を自ら創刊し、文学界・医学界にさまざまな主張・提言を行ったりしてきました。

その作風と世界観

森鴎外の作品はもっぱら文語体で、その文章は今の私たちからするとやや難解なのですが、深い教養と経験に裏打ちされた文章は格調高く、心地よいリズム感があり、情景や登場人物の心の推移がありありと伝わってきます。森鴎外の作品を読むと、当時から100年以上たった今もなお、現代を生きる私たちの心を揺さぶる力に満ちていることに驚かされます。

森鴎外の作風ですが、若いころは自身の経験も多分に踏まえながら、「舞姫」に象徴されるようなストーリーの鮮やかさで読者の心を惹きつける作品を発表していました。しかし、陸軍を退官して文筆活動の比重が高まっていった50代ごろからは、古典作品から着想を得て、不条理や貧困に満ちた厳しく苦しい環境の中でも精一杯生きている人々に目を向けた作品を多く発表するようになっていきました。

鴎外の作品は今でも人々の心を惹きつけてやみません

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